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クルマのある風景(851)=神流町

 2019-08-11
秩父へ行ってきました。別ルートであの地域を探索することと、もちろん最終的には芹の湯です。

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カンナ町は塩ノ沢峠を回ったときに何度か一部を通過しているのでアノ近くなのかなー・・という感覚でしたが思っていたより広いんですね。

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芹の湯にこんな明るいうちにつくことは珍しい。

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秩父はまだまだ知らないことが多い。少しずつ探検してみましょう。
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クルマのある風景 (650) = 米沢ー日光ー大田ー町田

 2019-08-07
帰りは都内を迂回して、山形ー米沢ー会津ー日光ー桐生ー大田ー町田と抜けて16号で戻る。
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久しぶりに上杉神社にお参りした。

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上杉鷹山公の銅像。

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神社の周囲を囲むお堀も今はハスの葉で一杯。冬には除雪の雪でうまっていた時もあった。

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米沢牛もちょっと賞味。このひと串で1200円。でも確かに美味しい。

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米沢から会津に抜けて、五十里湖のあたりにある道の駅の温泉に浸かり、日光にでる。神橋のたもと。

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渡良瀬渓谷に沿って桐生に出て、大田ー熊谷ーR16で町田・・・と戻る。四日で1460kmだからまずまず。酷暑ゆえAC全開に近く、燃費は21・6km/Lとさほど延びず。

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クルマのある風景(649)=慰霊の森(盛岡ー象潟ー山形)

 2019-08-07
例年のように7月末は雫石の慰霊の森へ。前夜は盛岡東横インに泊まって旧友と食事。
翌朝早めに登って、皆さんの邪魔にならないように下山。2021年が確か50年祭にあたる。そこまではお参りしたいと思っている。550段の階段も自分の脚で往復できる自信がなくなりつつある。
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駐車場は広げられていたがパイロンで区切られていたので隅っこへ。

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昨年、向かって左手の名前が刻まれた部分が交換された。石にひびが入るほどの年月が流れている。

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今年は酒田ではなく、象潟で岩牡蠣を食べる。うまい店を聞いたら舟の看板がある「とりみ}という店の海鮮がうまいという。

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海鮮の刺身を二種類頼んで食べる。もちろん外れなし。

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岩牡蠣も焼いてもらう。最近ではいちいち断らなくてもすんなり焼いてもらえる。この食べ方がイチバン。

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で、食後にもう一つ頼んだら、今度はオマケしてくれたので都合3つ食べた。

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そして寒河江を経て今夜は山形駅前の東横インへ。米沢まで行く元気はあったが、宿の予約が取れなかった。

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クルマのある風景(648) = 国分一太郎(山形東根)

 2019-08-07
山形・東根にある国分一太郎の記念館へ。
子ども達の描いた「想画」と「綴り方」をみてきた。

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親父は何故か山形が大好きだった。そのことについて話を聞く機会もなかったが、最近になってその理由がわかったような気がする。「国分一太郎」に興味があったのかなーと思って東根の記念館を訪ねた。「想画」や「綴り方」をまとめて展示してあるところがあればいいなー・・・。東根は整然とした町並みや清潔な環境にあり、家並みも立派な作りが多い。国分一太郎のような教育者が出たのも当然と納得。東の杜に資料館がある。入場無料・駐車場あり。想画は数百枚ではきかないようだが全容は知れない。
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クルマのある風景(647) = 峠の力餅

 2019-08-04
福島県と山形県の県境に板谷峠がある。頂上付近にJRの峠駅があり、そこに峠の茶屋もある。ズンダ餅とカラミ餅を食べに行った。

☆またPCに変調きたしました。だれかがいたずらしているのかもしれません。しばしお待ちを。

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カラミはちゃんと大根の辛味もあるし、ズンダは枝豆の味が素直に味わえる。力餅はやっぱり美味かった。トコロテンもお進め。

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岩場の庭も相変わらず。トンネルを掘ったときに出てきたものだろうか。

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駅舎も線路も完璧に屋根で覆われている。
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最後にこの列車に乗った記憶は小学生の頃で、当時はスイッチバック式に駅があって、その都度進行方向が変わった。登板力を補うために蒸気機関車が3輌つながれ後部に電気機関車が加わり、いわゆる「四重連」で登った。そして峠を越える間はほとんどトンネルの中なので、真っ黒なケムリが車内に進入して白い衣服は黒く汚れが目だってしまう。都内に入る前にYシャツを着替える光景を思い出す。その後はクルマでしか峠を越えていない。懐かしい思い出。大野九郎兵衛の碑のあたりは工事中だった。
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